「国境を超える対話のリーダーシップ」

家氏 信康 Nobuyasu Ieuji

コニカミノルタ株式会社 常務執行役

 今回お話を伺ったのはコニカミノルタ株式会社 常務執行役の家氏信康さん。1978年に旧・ミノルタカメラに入社以来、長年生産技術の分野で活躍し、本社に異動後は商品戦略や事業企画など企画部門を歴任。その後、2002年に中国の工場長(総経理)に抜擢されるなど、リーダーとしてその手腕を発揮されてきました。

 世界屈指の大手情報機器メーカーの役員という立場でありながら、そのお人柄はとても優しく、また親しみやすく、取材陣に対しても気さくに語りかけてくださいました。

 そんな家氏さんの仕事史上、最も大きな転機となったのが、中国の工場長時代のご経験です。そこでの出来事や実践は、ご自身の仕事へのあり方を根本から見つめ直す機会となり、幹部や中核メンバーたちと一丸となって改革を進めたことで、工場全体にこれまでにない革新をもたらしました。

 家氏さんが発揮されたリーダーシップのあり方は、組織リーダーの素晴らしきモデルとして、たいへん示唆に富んでいます。その礎となった中国赴任時代のエピソードを中心に、詳しくお伝えしていきます。

インタビュー 2014年8月7日

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●突然の大抜擢。早く自分の成果を出したいという焦りがあった

 人生には時に、自分の意思とは関係なく、運命の大きな波に運ばれていく瞬間がある。
 その渦中は必死にもがき、苦しみさえ覚えることもあるが、波を乗り越えた先には、「あの時が新しい自分と出逢うための転機だった」とわかる。
 家氏さんにとっては、それが中国の工場長時代の経験と言ってもいい。

 それは47歳のときに訪れた。当時、豊川の工場で生産管理部長として工場のマネジメントをしていたが、2002年10月に突如、中国の工場長(総経理)に任命され、海外赴任することになった。
 国内では、トナーなど主に消耗品の生産を手がけてきたが、今度は製品を組み立てる工場への転向となる。工場と一口に言っても、扱うモノや工程がまるで異なるため、赴任当時は戸惑いを隠せなかったと語る。

IMG_0366.JPG「具体的な実務が全くわからなかったので、半分素人みたいなものですよね(笑)。皆と議論をしてもさっぱり意味がわからないですし、ましてや異国の地で言葉も通訳を介してしか理解できないので、最初は戸惑いの連続でした。
 何より、現地の人脈が皆無に等しく、日本人の駐在員でも自分のことを全く知らなかったのです。皆、私が『どんな人なんだろう?』と構えていたので、中国人の従業員たちは尚更、私に対して壁を持っていたと思います。まずはその壁を取り払うことが先決でした」

 自ら心を開いて交流を持つように心がけ、ときに食事会を実施するなど、従業員たちと距離を近づけていく。しかし、組織のトップであるがゆえに、従業員側は評価につながることへの恐れを抱き、その緊張感はなかなか消えることがない。一方、家氏さん自身も特定の従業員を食事に誘うことで、一部の人をひいきしているように捉えられたくないという想いもあった。
 「初めのうちは皆とどう接していったらよいのか、困惑する毎日でしたね」と振り返る。

 また、工場自体も決して良い状態とは言えず、従業員によるトラブルも起こっていた。
「この状態を早いところなんとかしなくてはいけない……」。そんな焦りも見え隠れするようになった。

「私自身、この仕事に抜擢されたという意識が少なからずあったため、早く成果を上げなければという気負いが心のどこかにあったように思います。職場で頻発する問題を解決し、いかに生産性を上げられる工場を作り上げられるか? そこに意識を向けて様々な試みを仕掛けていったのですが、これがなかなかうまく行かない。もどかしい日々が続いていたのです」

●見返りを手放し、ただ従業員のために行動する。
その想いが計らずも結果を生みだす

 いよいよ行き詰まりを感じたとき、家氏さんは「この現状に対して自分に何が出来るのか?」「自分の何を変えたら、うまく行くのか?」、自らの心に問い続けた。
 そして、今抱えている正直な想いを駐在員の幹部たちに腹を割って話してみたのだ。それはいわば「弱みを見せる」ことに等しい。

「もともとそんなにカッコつけるタイプじゃないんですけど、やはりトップという立場から、駐在員の幹部たちにも弱みを見せないようにしていたのでしょうね。でも、もはやそんな余裕を持てないほど、追い詰められていた。自分の心の内や本当はこうしたいという想いをメンバーたちにさらけ出した瞬間、何かが変わりましたね」

 幹部たちと本当の意味で心の距離が縮まったのは、そのときからだ。
 「それから幹部のメンバーたちと本音で議論できるようになって、関係も深まりましたし、いろんなアイデアも出してくれるようになりましたね」

 そうして議論しながら行った施策の一つが、従業員による部活動(文化体育活動)の実施だった。
 たとえば、サッカー部やバスケットボール部など、会社の福利厚生の一環として様々な部活動を推奨したのだ。
 これは、「従業員の仕事のストレスなどを発散する場を設けたい」あるいは「従業員同士が交流することで組織の活性化につなげたい」という目的でスタートしたものだが、当初はなかなかうまく行かず、思うような結果にはつながらなかったという。

IMG_0398.JPG「そんなとき、中国人の従業員たちからバスケットボール大会に誘われたんです。言葉もわからないし、あまり気乗りしなかったんですけど、実際にやってみたら楽しくてね。日本人の幹部たちがボロボロに負けると、それを見た従業員たちが面白がって(笑)。なんだかそれから打ち解けた気がしたんです。
 そうやってお互いに交流を重ねていくうちにわかったのは、自分たちも一緒に楽しんだほうがいい、ということでした。そこに何か成果や見返りを求めない。ただ、純粋に楽しむんです。
 そして彼らが部活動の時間をもっと充実したものにできるように、工場の敷地内に部室を建てたのですが、それが想像以上に喜んでくれまして。次第に従業員も心を開いてくれて、『会社は自分たちのことを本当に考えてくれている』と信頼してくれたようです。結果、従業員たちも安心して部活動を楽しみ、当初の目的だった従業員同士の交流や組織の活気は増していったのです」

 そのとき、家氏さんはじめ、幹部たちはこう実感したと語る。

「何か成果や見返りを求めて従業員を動かそうとしても、いい結果を生まないのではないか?」

 成果を挙げたいのは、あくまでも自分たち会社の都合。その思惑を手放し、見返りを求めずに、従業員たちに心を寄せて行動する。自分都合ではなく、相手を軸に考え、行動することでおのずと結果が出てくることを、身を持って実感したという。

●「誰が悪いのか?」ではなく、「何が」問題なのか? 
問題の本質を探ることが大事

 こうしてリーダーたちによる意識改革が進む中、職場全体にはびこるコミュニケーションの問題についても見直していった。

「それまでは現場で何か問題が起きると、『誰が悪いのか?』という責任追及になってしまって、それ以上議論が進まないことが多かったんです。でも、解決のためには本当は『なぜそうなったのか?』という根本原因を探る必要があります。
 小さな例ではありますが、会社の寮で従業員同士のケンカ騒動があり、その従業員を処分するという話が出ました。でも、よくよく理由を聴いてみると、寮の設備に問題があったことでケンカに至ったことがわかったのです。本当の問題は従業員ではなく、会社の設備の不十分さにあった。それは、当事者たちとしっかりコミュニケーションを取らないと見えてこないのです。

 誰が悪いのか?と相手を責めて終わるのではなく、問題の本質を探り、対処していく。そのあり方を職場全体に浸透させていくのは時間がかかりましたね」

 また、現場ではこんなコミュニケーション上の問題もあった。
 「言ったvs聞いていない」という連絡・指示の行き違いだ。

IMG_0354.JPG「これも『あいつが言った、言わなかった』という議論になってしまって話が進まなくなるので、幹部たちと相談してルールを決めたんです。少々強引ではありますが、伝わったどうかは、すべて伝えた側の責任にしよう、としたんですね。責任といってもペナルティがあるわけじゃありません。ただ、責任の所在を明確にしたほうが、伝えるほうも一生懸命伝え方を工夫するんじゃないかと思ったんですね。それによってどのような結果になるかわかりませんでしたが、まずやってみようと試みたんです」

 その試みは功を奏し、伝える側の精度が格段に上がったという。たとえば、相手にちゃんと伝わったかどうか確認を施したり、相手の状態やタイプに応じて言い方を変えたり、言葉を省略せずに丁寧に伝えたりと、コミュケーションの質が上がったのだ。

「このやり方は新人教育の場にも活かしました。2カ月という期限付きですが、新人がミスをしたら教育担当者の責任、ということにしたんです。それまでは、ミスをしたらその本人に罰を与えるという意見もありましたが、それでは新人のような弱い立場の人が不利になるのは目に見えています。 

 相手のミスを自分のこととして捉えられるか? 相手に責任を押し付けるのではなく、自分自身に出来ることはなかったか? そうした考え方にシフトしようとしたんですね。すると、教える側が指導の仕方を工夫するようになったり、新人をよりケアしたりするようになって、結果的に新人たちのミスは減少したんです」

●日本語が上手じゃなくてもいい。
ハートで伝えられる通訳の育成に力を注ぐ

 そもそも、このようなトップや幹部たちの考えを中国人の従業員たちにしっかりと理解してもらうためには、「通訳」の力が欠かせない。
 家氏さんは、自身の言葉を現場に落とし込んでくれる通訳スタッフを社内でも重要な存在として位置づけ、その育成に力を注いできた。

IMG_0361.JPG『あなた方の通訳で会社全体の仕事の質が決まる!』というぐらい、この仕事を重要視していることを折に触れ、伝えてきました。そして、日本語や指示の意味がわからなかったら、何度聞き返してもらっても構わないと言い、密に対話してきましたね。
 大切なのは、日本語のスキルじゃないんです。たとえ上手ではなくても、私や日本人メンバーの意思や指示を理解し、その想いを乗せて伝えてくれることが大事なのだと力説していったんです。その言葉に意外にも通訳さんたちが喜び、『この仕事を大切に想ってくれてうれしい。ますます誇りややりがいを持てるようになりました!』とやる気を出してくれたんです。これには私も胸を打たれましたね」

 当時、10数人いた通訳スタッフは、就業後の疲れをものともせず、日本語の勉強会を実施。お互いの日本語力を高めようと切磋琢磨しながら、懸命に学び合う姿に驚かされたと言う。

「全体の技術レベルが底上げされたのはもちろんのこと、通訳の仕事を通して、会社の業務やマネジメントに興味を持つ人も増え、業務スタッフに転向して管理職になった人が何人も出てきました。通訳の仕事にとどまらず、幅広く活躍する人が増えたことは本当に喜ばしいことでしたね」

●自分たちには「文化」が足りない。
従業員が皆に自慢できる工場をつくりたい

 一方、家氏さんは中国人のリーダ―クラスの従業員とも積極的に対話を重ねてきたが、そのときの会話で出てきた言葉が今でも忘れられないと話す。

「中国人のリーダーを務める彼に『うちの会社は比較的いい会社のほうだと思うけど、何が足らないと思う?』と率直に聞いてみたら、こう返ってきたんです。『敢えて言うなら、文化がないですね』と。『確かに会社の規模は大きいし、地域でも有名な企業ですが、たとえば親や親戚に自慢できる何かがない。“うちの会社はこうです”と言える何かがないんです』と言うんですよ。この言葉がズシンと響きまして、しばらく悩んでしまいましたね」

 それは待遇や労働環境といった条件面とは異なる、目には見えない“フィロソフィー”のようなもの。それだけにどうやって築き上げたらよいのか、なかなか答えが見つからなかった。

 家氏さんは日本人幹部をはじめ、中国人の中核メンバーと何度も議論を重ね、思案し続けた。そして「自分たちが目指す工場」について5つのポイントを掲げ、そのメッセージを全従業員に発信したのだ。

IMG_0371.JPG「その代表的な一つが『従業員が好きになれる工場にしたい』というものでした。これらは中国人たちから出てきた意見を反映したものです。どういう工場にしたいか、メッセージを明確にしたことで、全体としてまとまりが出てきたように思います。また、これらのメッセージを作るプロセスを通して中国人のメンバーと深い対話ができたことで、次第に彼らが中心となって動くようになったんです。やっぱり現地のメンバーが会社の方向性を理解して動き出したら、改革は加速度的に進みますね。最終的には、とてもいい工場になったんじゃないかと思います」

 こうして密度の濃い3年半の任期をまっとうし、工場の仲間たちから惜しまれつつも、帰国の途に就いた。「赴任して最初の1年半は本当にうまく行かないことだらけでした。でも、苦労した分だけやりがいや喜びも大きかった」と家氏さんは目を細めながら、当時の心境を振り返る。


●逃げ道がない。追い詰められてきた中で生み出された
珠玉のリーダーシップ

 家氏さんの優れた手腕と実績には、ただただ敬服するばかりだが、そのリーダーシップは、実は中国に赴任してから磨かれたものだと断言する。

「中国に赴任する前は管理職といえども、困ったときは上司や先輩が助けてくれましたからね。まぁ、逃げ道があったということでしょう。でも、自分自身がトップになり、初めて全責任を負う立場になって、自分がなんとかしなくてはならなくなった。今までお話した数々の実践は、非常に追い詰められた状況の中で必要に迫られて見出されたものなのです。赴任当初は、自分がいかに成果を挙げられるかばかり考えていましたし、最初から『従業員のために』という高い意識で行動できていたわけじゃないことを強調したいですね。
 ところで、経験も人脈もない私がなぜ工場長に抜擢されたのか、後から聞いた話によると、私の人事を決めた役員は『大博打だった』と言っていたらしいです(笑)。私をトップにすることで、一か八かではありますが、これまでの風土を一新したいという意図があったのですね。ただ、私自身は思いも寄らない経験をさせてもらえて、それまでの意識とは全く異なるものとなりました。やはり、あのときが仕事人生における転機だったのだと思います」

 家氏さんが中国で培ったリーダーシップは帰国後も大いに発揮され、役員として次々と社内の改革を進めてこられた。
 唐突だが、最後に「人生で最も大切にしていることは何ですか?」とお伺いすると、「いろんな人と会って対話をすること」だと微笑んだ。時にお酒を酌み交わしながら、想いを語らい、相手と心が通じ合う時間が最も楽しく、幸せなのだそうだ。

 相手ととことん話し、その真意を理解し、解決の糸口を見つけていく――。
 家氏さんはまさに「対話のリーダーシップ」を体現されていると言ってもいい。その心の通ったあたたかな遺伝子は共に働いてきた仲間たちにも受け継がれ、今、世界の様々な現場で確かに息づいている。

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  • (取材・文/伯耆原良子)
【家氏信康プロフィール】
1955年生まれ。慶應義塾大学卒業後、1978年に旧・ミノルタカメラに入社。以来、トナー事業の生産技術分野を担当し、アメリカ、フランスなどの海外工場立ち上げプロジェクトにも参画。その後、本社で商品戦略や事業企画、経営企画などを経て、2002年10月より中国の工場にて、工場長(総経理)として着任。2006年4月に任期を終え、帰国後は事業会社の取締役などを歴任し、2011年より本社常務執行役として活躍。

★KONICA MINOLTA Japan
http://www.konicaminolta.jp/

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