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戦う経営から場づくり経営へ
倒産の危機から救った愛の改革とは?

愛の折箱や 株式会社ヤサカ 代表取締役 小澤勝也さん

 折詰や駅弁などのお弁当箱(折箱)を製造・販売を手がけ、業界内でトップを誇る株式会社ヤサカ。千葉県内に4つの工場及び拠点を構え、社員やパートさんを含めて総勢100名を超えるスタッフが働いています。

 小澤勝也さんは、そんな勢いのある同社の二代目社長。さぞかし威厳に満ちた方であろうとお逢いしてみると、驚くほどソフトで穏やかな雰囲気。周囲からも「おざりん」という愛称で親しまれるほど、茶目っ気たっぷりのお人柄です。

 また、会社という枠にとらわれず、講演活動や自身の学びのために、全国を飛び回るのもおざりん流。自ら積極的に社外に出かけ、得た学びや情報を社内に持ち帰ることで、良き循環をもたらしています。

 とはいえ、ここまでの成長と実績を築くのには、想像を絶するほどの苦悩と葛藤がありました。一時は倒産の危機に直面するほど業績が急落。もう限界だと悟ったとき、おざりんは経営者としてのあり方をすべて見直し、社員とともにゼロから再出発を試みます。
その波乱の道のりと、おざりんならではの愛をベースとした経営手法や心得を社員の皆さんのリアルな声とともにご紹介いたします。

●入った初日に専務就任。結果を焦る気持ちから社員に圧力

 創業当時だった子どものころ、父や母が寝ずに折箱づくりや配達に奔走し、必死で働くその姿をこの目で見てきた小澤社長(以下通称:おざりん)。小学5年生のときには「自分が会社を継ごう」と心に決め、以来、経営者としてどうあるべきかを常に考える青春時代を過ごしてきた。

社長おざりんPH1.jpg「もう会社を継ぐ道以外、考えられなかったんですよね。父も自分に会社を継がせようと期待が強くて、理不尽なほど厳しく接してこられました。殴られるなんて、もうしょっちゅう。怖くてたまりませんでしたよ」と、当時の様子を振り返る。

 社員にも厳しく、孤高の経営者として恐れられていた父をそばで支え、現場を長年取り仕切ってきたのが、親戚の叔父である専務だった。
おざりんに大きな転機が訪れたのは、そんな実質的なリーダーであり、人望も厚かった専務が退職することになったときだ。当時26歳で、別の業界で修行をしていたおざりんは、急きょ専務の後継として会社に呼び戻されることになった。
とはいえ、業務の引き継ぎがあり、すぐに今の会社を辞めて移籍することはできない。専務が退職して、半年後にようやく入ることになった。

「社長室の室長という形で入ることになったんですが、入った初日の朝礼で現場を統括する社員から『どうせ、いずれ専務って呼ぶんだから、今日から専務で行きましょうよ』の一声で事態が変わりまして。覚悟もまだできていないのに、初日から専務になってしまったんです」

 今まで感じたことのないプレッシャーが肩にのしかかった。さらに実質トップだった前専務が不在だった半年の間に現場は混乱。これまで前専務が中心となって行ってきた各部署の会議も影をひそめ、指示命令系統も崩壊、組織全体が無法地帯と化していたのだ。

「おそらく父は、私がいずれ現場を統括するものと考えていて、敢えて組織をいじらないようしていたんでしょう。でも、あまりの組織の混乱ぶりに、私自身『なんとかせねば!』と意気込み、一から組織改革を行い、営業、製造、配送、それぞれの会議を再開させたんです。各部署の社員を召集して、その仕事のやり方や、目標設定の仕方など一つ一つ突っ込んでいきました」

 自ら営業活動をしながらも、営業プランを立て、ノルマを設定し、ガンガン販路を拡大させていく。取引先への営業トークの想定問答集まで作り、社員にも一言一句徹底的に身に付けてもらった。その効果もあって、業績は右肩上がりに伸びていった。

「社員に対してもかなり厳しく当たりましたね。自ら設定したプラン通りに動いて結果を出せなければ『動かないお前が悪い!』と責め、言うことの聞かない社員には怒鳴って指示に従わせようとしました。時には机を叩きながら力説したり、相手の言うことが納得いかないと、その辺の段ボールを蹴飛ばしながら歩いたりしていましたよ。まさに恐怖政治を地で行く感じでしたね」

営業部長政田秀さんPH1.jpg 当時、営業として第一線で活躍していた政田秀さん(現・営業部長)は、そのときのおざりんの様子をこう語る。
「あのときの専務はいつも『なんで?』が口癖でした。『なんでこの価格で行くの?』『なんで今月目標行かないの?』と、まるで取り調べのようでしたから。社員はいつしかおびえるようになって、会議で怒られないように言い訳の準備に力を注ぐようになってしまったんです」

 政田さんは、会社の業績が急激に伸びて喜ばしい反面、心のどこかで引っかかっていた。確かに良くできた営業マニュアルで取引先の心を射抜き、多くの会社が注文をくれるようにはなったが、それはある意味、駆け引きによって、相手の心をうまく操っているだけのような気がしてならない。

そして、急激に自社が売上を伸ばしていることで、市場でのシェアは拡大したが、一方で同業他社の取り分がどんどん失われていく。単に他社から奪い取っている感がぬぐえないのだ。

「このやり方はいつか何かのタイミングで無理が来るんじゃないだろうか? それを懸念していたんです」(政田さん)。

●俺が間違っていたと社員の前で号泣。初めて人に弱みを見せた瞬間

 その予感は的中した。バブル崩壊後の金融破たんが相次いだ96年ごろから、売り上げが急落。様々な手法を駆使しても、業績悪化は止まらない。そんな厳しい時期での社長就任(当時36歳)で、おざりんはますます鬼の形相で社員に発破をかけ、起死回生を図ろうとしていた。

パーツ製造中澤信芳さん.jpg
 ちょうどそのころ、製造担当として入社した中澤信芳さん(現・第二工場副工場長)は、おざりんからの厳しい叱責に心が折れそうになったことが何度もあると言う。

「当時は、工場で1個ロスしただけでも社長に報告して、失敗の理由を説明しなければならなかったんです。逃げ場がないほど追及されるのがもう恐ろしくてですね。当時、社長がホンダのオデッセイに乗ってたんですけど、その車を休みの日に見かける度に、心臓がドキっとして、すぐさま影に隠れる、なんてこともしてましたよ(笑)。それぐらいトラウマになってたかもしれません」(中澤さん)

「あのころはもうどん底で、下げ止まらない業績をなんとか食い止めようと、孤軍奮闘してたんです。あらゆる手を尽くしても、上がる兆しは見えず。いよいよ倒産の危機が目前に迫ったとき、初めて自分の心の内側を深く見つめ直しました。そもそも今までこんなに頑張ってきたのはなんでだろうか? 会社を良くしたいからではないのか? こんな大事な会社をつぶすなんて絶対にありえない! つぶしたくない! そう心の奥が叫んだのです」(おざりん)

 おざりんは、生まれて間もないころから、父が運転する配送トラックの助手席に乗り、よく夜中に一緒に配送に回っていた。父や母や仲間たちが寝食を惜しみ、昼夜問わず働き、必死の想いでこのヤサカを築き上げてきた。
 理不尽で厳しく近寄りがたい父ではあったけれど、根底には父への愛、この会社への愛があふれている。「つぶすなんてありえない」という想いの底には、そんな深い愛が確かに流れていたのだろう。

 倒産目前のある日、おざりんは覚悟を決めた。社員に腹を割って、自分の想いやこの切迫した状況を洗いざらいぶちまけようとしたのだ。それは経営者になって以来、いやむしろ人生で初めてと言っていいぐらいの、殻を破る瞬間でもあった。

社長おざりんPH3.jpg「まずリーダー格の社員を事務所に集めました。そして『もうつぶれそうなところまで業績が落ちているけれど、それは全部俺が未熟だったせいだ。俺のやり方が間違っていた。今まで皆につらい想いをさせて、本当に済まなかった。俺にはもう力がない。どうか助けてほしい』と号泣しながら、打ち明けたんです。初めて人に弱みを見せた瞬間でした」

 本音を言えたことで心がスっと軽くなった。今までずっと一人で戦ってきたのが、皆と痛みを分かち合うことで孤独じゃなくなった気がしたと、当時の想いをしみじみと振り返る。

●社員の力を信じて任せる。その多大なる効果と難しさ

 それから不思議なことが起こった。特段、目立った対策は打っていないにも関わらず、奇跡的に業績が下げ止まったのだ。

 おそらく、社長の心からの本音を聴いた社員たちが「社長のために、この会社のために頑張ろう」と士気が高まり、個々で自分に出来ることを行った結果かもしれない。

 また、これまで一人一人の成果や失敗を追及し、吊し上げる場でしかなかった社員のミーティングを一切廃止したことも大きい。

社長おざりんPH4.jpg「それまでは社員全体が集まるミーティングと各部署の会議と月2回は行っていましたが、それをすべて廃止したんです。自分は社内で恐怖の存在でしかなかったので、まずは会議をやめることでその波を沈める必要があると思ったからです。もちろん個々で話し合ったり、個人的に目標設定するのは自由です。ただ、こちらからあれこれ問い詰めたり、ノルマを押しつけたりすることは一切やめようと決めたんです」(おざりん)

 このミーティングとノルマ廃止は、社員のメンタルや仕事ぶりに想像以上の効果をもたらした。
まず、追い立てられるストレスと失敗を追及されたときのための準備(言い訳を用意する時間)が減り、本来の業務に集中できるようになったこと。それから社長の顔色を常に伺うようなビクビクした緊張感が和らぎ、自由に意見が言える雰囲気が増してきたことだった。

 中澤さんは、「あの恐怖のミーティングがなくなって、正直ホッとした部分はありました(笑)。と、同時に社長が自分たちを信じて、任せようとしているのかな、という気持ちが伝わってきて、それがうれしかったんですよね」と当時の心境を語る。

 また、それまでの巧みな営業トークで取引先に“暗に”売り込むというスタイルもやめることにした。
表面的には、売り込んでいないように見せても、その根っこにある「いかに注文を多く取るか?」という商売根性はどうしても相手に伝わってしまう。
 それよりも、折箱メーカーのヤサカとして、個人として、純粋に相手のためにできること、お役に立てることは何でもやろうという姿勢に変えたのだ。

「取引先が求めているものをまず伺ってみて、もしうちのお弁当箱じゃなくて、よその折箱のほうが良いと想ったら、そちらをおススメしたり、箱じゃなくても良いと想ったら、まったく別の容器を提案したりしました。ときには、箱以外の注文や人生相談まで受ける社員も出てきましたよ」(おざりん)

 そのためには、自社の商品だけじゃなく、他社の商品カタログや、箱以外の容器のカタログも見て勉強する必要がある。そうすることで視界が広がり、枠にとらわれない発想が生まれる。新たな仕事を自ら生み出す楽しさが社員の心に芽生えつつあった。

 営業の担当替えも功を奏した。それまでは効率よく回るために、エリアごとに担当分けをしていたが、一旦それを解消し、取引先との相性で組み分け直しを図ったのだ。

「やっぱり苦手だなと思う会社に行くよりも、相性が合う会社に行ったほうが、話がスムーズに運びますからね。エリアごとじゃないだけに動き方に無駄は出てきますが、その分、心の負担が減って、双方にとって実りある時間になったんじゃないかと思います」(おざりん)

 こうして社員一人一人の個性や能力を大切にしながら、少しずつ“任せていく”あり方へと移行していったわけだが、最初からすんなりとうまく行ったかというと、決してそうではない。
 おざりん自身、心底社員たちの力を信じて任せようと想えるようになるまでには、実に3年の歳月がかかったと言う。

「最初のうちは今までの癖が抜けなくて、ついつい口出しちゃってたんです。自分のほうがもっと早くうまくできるとおごっていたんでしょうね。でも、これじゃ自分も会社も本当の意味で変われない。口出しするのをグッとこらえて相手の成長を待ち、こうあってほしいという思惑や期待も手放していきました。それを続けていくうちにだんだん皆が自ら動くようになって、業務知識も自分より皆のほうがはるかに詳しくなった。『皆、すごいな!』って心から尊敬の念を抱いたんです。実は、そう思えるまでに3年かかっていて、実質すべての業務を任せていくまでには5年かかったんです」(おざりん)

 現在、専務取締役であり、おざりんの弟でもある小澤武人さんも、「信じて任せる」ことの難しさや意味を実感したと語る。

専務小澤武人さんPH1.jpg「トラックにどの荷物をどれぐらい積むかといった配送の組み方を、社長から引き継いで自分がやっていたんですけど、なかなかうまくいかなくて、でもスタッフに一任することもできず、悩んでいた時期がありました。ただ、現場のことは現場の人間がよくわかっているはず。ここは思い切って任せてみようとお願いすると、配送と営業の担当者が話し合って、自分たちで一番効率の良い組み方を考えてやってくれるようになったんです。人に任せるというのは勇気がいりますが、これまで自分が抱え込んでいたモノを手放すことで、相手や会社の成長のためになるんだということを実感しましたね」

●会社内で使う言葉を「愛の言葉」に。思わぬ経済効果が

 社員の力を信じて任せ、自主性を引き出す取り組みをしていくことで、業績が下げ止まるどころか、年々少しずつ上向いていった。
 そんな中、おざりんは、仕事という人生で大きな割合を占める時間を、もっと一人一人の人生が豊かに、幸せになるような学びの場にしたいという想いを強くしていく。

「人としてどう生きるべきか?」「どうしたら幸せな人生が歩めるのか?」――。
 書籍、あるいはセミナーや勉強会で学んだことを自身の中で深め、熟成し、自らが講師となって社員に伝えていくことにした。その取り組みは10年ほど前から始まり、今なお継続している。最近では外部の講師なども招き、バラエティに富んだワークを月1回程度行っているという。

パーツ製造中澤信芳さんPH2.jpg「以前、セミナーで『褒めるワーク』というのがあったんですけど、男二人がお互いを見つめ合って褒め合うのが、もう恥ずかしくてね(笑)。最初はすごい抵抗ありましたけど、いろんな人と対面して褒め合ううちに自然と言葉が出るようになったんです。今では相手のことはもちろん、自分のことも認められるようになってきたし、人前で話すのも苦手じゃなくなりました」(中澤さん)

営業部長政田秀さんPH2.jpg 営業部長の政田さんも、「最初は宗教っぽいとか、こんなセミナーをやる時間があるんだったら、箱1個でも作ったほうがいいんちゃうか?と思っていたんですけど、グループで協力してワークをしたり、互いの想いをシェアする時間を重ねるうちに、社員同士が本音で語れる空気が生まれてきたんです。皆が素を出せる職場ってそうそうないと思いますよ(笑)」とコメント。

 一方、業績が上向いて数年が経った2007年に中途で入った営業部の篠宮和二さんは、まず入社時の面接で面食らったと話す。

営業篠宮和二さんPH1.jpg「志望動機とか経歴を聴かれると思って用意して行ったら、面接官からいきなり『なんのために働くのか?』と聴かれまして(笑)。驚きとともに、自分自身を深く掘り下げてもらって、勉強になりましたね。そのあと、面接官が社長だとわかり、二度ビックリしました」

 入社後も驚きの連続だった。社長自らがセミナーを行い、しかもその内容が業務研修かと思いきや、「人生を明るく楽しく生きるヒント」が満載だったからだ。
 前の会社にいたころは、愚痴や不平不満が多かったり、人との比較、競争ばかりで苦しい日々を過ごしてきたが、社長の考え方を学び、実践するにつれ、周りの出来事に振り回されなくなり、心穏やかに働けるようになったと言う。

「『他人は変えられないけど、自分は変えられる』。まず自分を変えることが幸せの一歩なのだと心から理解できるようになったことは、自分の人生にとって、とても大きなプラスですね」(篠宮さん)。

「せっかく会社に来てもらっているのだから、何かその人にとってプラスになるものを持ち帰ってもらいたい」――。そんな社員たちへの愛が、おざりんの言動や行動にあふれている。

 中でも、おざりんが重点を置いて伝えたのが「言葉の使い方」だ。会社内で使う言葉を、「愛の言葉」に変えようと試みたのだ。
 たとえば、「ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、ゆるします」といった愛の言葉(天国言葉)を積極的に使うようにし、「ついてない、不平不満、グチ、泣きごと、悪口、文句、心配ごと、ゆるせない」といったマイナスな言葉(地獄言葉)を禁止することにしたのだ。
これらは実業家として知られる斉藤一人さんの考え方を参考にしたものである。

会社業績推移.jpg この言葉を並べた紙を工場内などに張り出し、皆に実践してもらったところ、不思議な現象が起こった。
 なんと生産の出来高が上がり、さらには不良品率が下がり、クレーム数も減少したのだ。

 言葉を変えることによって、社内が明るく、お互いを思いやる雰囲気に変わったのはもちろんのこと、思わぬ経済効果までもたらしたことは興味深い。

●一人一人の人生を大切にし合える場づくりこそ、愛の経営

社長おざりんPH6.jpg「倒産しかける前の時代は、社員も役員も自分ですらもコマとしか見ていませんでした。人間というコマをいかにコントロールして働かせるかばかり考えていたんです。自分自身もコマだったから、誰よりも働いてましたしね。その根底にあるのは、不安と恐れだったのです。でも、そのあり方では社員に対しても不安と恐れしか生み出さないのですね。業績急落でどうしようもなくなり、社員の前で号泣したあの瞬間がすべての始まりでした。そこから社員は自分自身の大切な仲間であり、かけがえのない家族になったんです」(おざりん)

 その家族一人一人の人生を大切にし合えるような場をつくる。
相手を否定するのではなく、相手を肯定し、お互いの素晴らしさを認め合う雰囲気をつくる。
愛の折箱やジャンパー1.jpg それが、おざりんの実践する愛の場づくり経営の形だ。

「愛の折箱や ヤサカ」はそんな温かい想いが家族である社員に浸透し、生まれ出たものだ。「愛の折箱や」のロゴマーク入りジャンパーは、社員自らが話し合い、考案して作られた。

 お互いを認め、思いやる愛の風土は次第に定着し、社員同士の交流イベントを企画する人や、部署のメンバー一人一人の誕生日会を企画する人も出てきている。
 課題はゼロになったわけではないが、業績はゆるやかに、でも確実に成長し続けている。

 ヤサカは今、経営者であるおざりんの“モノ”ではなくなった。
 そこで働く一人一人の大切な居場所になったのだ――。


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(取材・文/伯耆原良子)


【会社概要】
愛の折箱や 株式会社ヤサカ
本社所在地:千葉県鎌ケ谷市 設立:1970年3月 事業内容:折箱の製造・販売

会社HP:http://www.yasaka-ai-no-oribakoya.co.jp/
代表取締役:小澤勝也 社長ブログ:「心の小さな灯」http://yasaka-happy.at.webry.info/

実践事例

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【会社概要】
愛の折箱や 株式会社ヤサカ
本社所在地:千葉県鎌ケ谷市 
設立:1970年3月 
事業内容:折箱の製造・販売

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代表取締役:小澤勝也 社長ブログ:「心の小さな灯」

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